院長あいさつ
- 調布市にて誕生
- 調布市私立緑ヶ丘幼稚園・調布市立野川小学校(現 調和小学校)
- 狛江市立狛江第7小学校・狛江第4中学校・私立聖学院高等学校を経て
- 1996年
- 岩手医科大学歯学部卒
- 1996年~1998年
- 東京医科歯科大学歯学部口腔機能再建学(旧第2口腔科学)講座専攻
- 1998年~1999年
- 先輩開業医にて勤務
- 1999年~
- 生まれ育った調布市京王線柴崎駅前にて歯科医院開業
- 2003年~
- 米国ニューヨーク大学歯学部インターナショナル留学コース入学
- 2003年3月~
- 京王線柴崎駅南口正面にてリニューアルオープン
- 2005年10月
- 2005年10月ニューヨーク大学インプラントCDEプログラム卒業
- 2008年
- ICOI 国際口腔インプラント学会 ディプロメイト取得
- 日本歯科審美学会
- 日本口腔インプラント学会
- 国際口腔インプラント学会(ICOI)
- 日本ヘルスケア歯科研究会
- 自家歯牙移植・外傷歯学研究会
- 国際外傷歯学会(IADT)
- 床矯正研究会
- 東京医科歯科大学歯学部口腔機能再建学(旧第2口腔外科学)講座同窓会
- New York University College of Dentistry Continuing Dental Education Programs Courses 同窓会
- NPO Japan Dental Mission (海外歯科医療ボランティアチーム)
- 日本病巣疾患研究会
- 日本顕微鏡歯科学会
患者さまの繊細な心に寄り添った医療を
私、伊藤玲(あきら)は、サウスポー(左利き)の歯科医師です。
歯科学生時代の専門実習や勤務医時代の臨床現場において、常に右利きの指導者に習い左利きであることを珍しがられ、右利きになるべく指導されてきました。
当時の日本の歯科診療台は右利き用の診療台しかありませんでした。仮にあったとしても左利きの歯科医師しか使えないため、現実的ではありません。日々の診療や日常的にも、左利きであることで不便を感じながらも右利き社会に順応していく術を自ら模索し、努力してきました。
その結果、気付いた頃には、日々の診療において右でも左でも器用に操作できるようになりました。右利きでは難しいところは左手で、左利きでは難しいところは右手で治療することができるため、右利き社会に鍛えられたことにとても感謝しております。
また、そういった左利き、右利きの目線で歯を見つめて、技術の向上に努めるべく、そのノウハウを勤務医・歯科衛生士に日々アドバイス・指導しております。
患者さまの繊細な心に寄り添った医療を
私は岩手医科大学を卒業後、東京医科歯科大学歯学部の口腔機能再建学(旧第2口腔科学)講座に入局しました。
口腔外科という分野で口腔ガンを診察したり、歯牙移植や口腔小手術の経験や100症例以上の顎関節症の治療、年間300症例親知らずの抜歯などの経験を積み重ね参りました。また、心身症の方のケアをしたいと思っておりましたので、大学では、そのようなココロの問題を抱えた患者さまとのコミュニケーションも積極的に取っておりました。
ココロの問題が身体疾患となって現れたりすることは、決して珍しいことではありません。日常のストレスはもちろん、ご家族の問題や環境など、一見、まったく関係のないと思われることが原因で病気が発症してしまったりするのです。
このような経験からも、当院では患者さまとのコミュニケーションをとても大切にし、その患者さまの価値観や環境、お悩みになっていることなど、なるべく多くの情報を把握し、治療にあたることで、患者さまが快適で健康な生活を送れるよう、お手伝いをさせて頂きたいと考えております。
常に、技術の向上を追求したい。
私は、大学卒業後4年目で開業しました。
同級生の中でも早くに開業した方で、当時は、開業にあたって不安も多く、未熟で、ちゃんと『患者さまの期待に応えること』ができるだろうか?と考える日々が続きました。
でも、この地域で、この育った場所で、『患者さまの期待に応えたい!』と強く思えるようになり、診療台2台、待合室も5人程度でいっぱいになるくらいの小さな場所で、業者にも小さ過ぎますねと言われるくらいの、当時では、珍しいくらいの小さな歯科医院を開業することができました。
私自身、歯が悪く幼少期には泣きながら、イヤイヤ歯科医院に通ったことを今でも思い出します。できれば行きたくない所。。。少しでも楽しい場所と思って頂けるように、小さなお子様には、充実したキッズルームやご褒美のおもちゃのプレゼント、温かいお茶やおしぼりなどで少しでも緊張感を和らげて頂きたい。などと様々な工夫をしながら、
『自分だったらどうだろう?』
『自分だったらどのように治療して欲しいかな?』
『自分の子供や家族だったらどのように治療して欲しいかな?』
と『自分が治療を受ける立場に立って、患者様と同じ目線になって考える』ことを意識し、医院環境の充実と治療や説明をさせて頂いております。
そのように意識しながら『患者様が求める最善の治療、患者様のためになる治療』を心がけております。
私は開業当初から、患者さまのお口の中をカメラで撮影したものをモニターに映し、わかりやすくお見せして、解説して、現状の問題点や治療の必要性などを理解して頂きながら、治療をすすめるというスタイルにずっとこだわってきました。
当時は、鏡ごしに暗く小さな口を見せることが通常であったため、モニターでお口の状態を見せることは、患者さまにとっては、新鮮であり、しっかりとご自身の問題点を理解してくれていたように思います。そして同時に、自分の診療で患者さまに喜んで頂けることが、私自身の喜びと歯科医師になって良かったと思えるようになりました。
そして、より患者さまの期待に応えるために、歯科治療をもっと広く学ばなきゃと思っていた時、ちょうどニューヨークへの留学の話がありましたので、良いチャンスと思い、ニューヨーク大学歯学部のインターナショナル留学コースに入学いたしました。
日本での診療をしながらの短期留学でしたので、2週間ぐらいずつのスケジュールでニューヨークと日本を行き来して勉強をしており、かなり大変だったのですが、その時に学んだ技術や方針は今でも非常に役に立っており、現在の診療におけるベースともなっております。
現在も、国内の学会や勉強会はもちろんのこと、海外の学会にも定期的に参加しており、最新の技術や情報を取り入れ、日々の診療に反映できるように尽力しております。
2003年3月には、柴崎駅南口正面の場所に移転し、患者さまの期待に応えられるように診療台を増設し、待合室もゆとりをもって座っていただけるように充実したスペースや診療設備を確保することができました。
日々発展してゆく歯科医療技術や診療機器をしっかりと使いこなし、知識や技術の向上に努め、患者さまそれぞれのお悩みに合った解決策を用意できる医院、引き出しの多い医院を目指しております。
患者さまにより解りやすく、治療内容や治療技術を解説できるようなシステム作りを目指し、患者さまに解りやすい言葉と解りやすい画像で、『患者さまに寄り添う医療』をご提供できるように努めております。
ドクターやスタッフの育成に注力したい。
私は、一人の人間の力にはどうしても限界があると思っています。
幸いにも当院はスタッフに恵まれ、私の想いや技術をしっかりと受け継ぎ、実践をしてくれていますので、チームとして高いレベルの医療を提供できていると思います。
今後、医院としての更なるレベルアップを考えると、私一人ではなく、個々のスタッフがそれぞれ、得意分野を生かしつつ技術を磨いていく必要があると感じます。ですから、まずは私自身が率先して新しい知識を取り入れ、技術を磨き、そして、それをドクターやスタッフに伝承するために、院内にて勉強会を開催したり、症例相談なども頻繁に行っております。
診療を行っている最中でも、若い先生方が私の手技を習得しようと、食い入るように私の手元を観察してくるときは、私にもその熱意や気迫が伝わってきて、モチベーションも自然と上がってきますね。
より多くの人に、より快適な治療を受けて頂くためにも、医院全体のレベルアップに注力していきたいと考えております。
歯科医師としての『使命感』を大切にしたい。
私が、歯科医療ボランティア活動に興味を持ち始め、活動をスタートしたのが、2015年の7月のことでした。
それ以前には、ボランティア活動というものにほぼほぼ参加した事がありませんでした。
興味はあったものの、
『どうしてボランティア活動をするのか?』
『どうして必要なのか?』
『たった数日で何ができるの?』
『なんで自分でお金を払ってまで参加するのだろうか?』
という疑問を抱えながら時が経ち、解決する事が出来ずにいました。
きっと、その時の自分には、ボランティア活動で行うことが、『資格ある歯科医師として、「診てあげる」という軽い気持ち』だけの程度でボランティア活動の深い部分に関しては、全くの無知でありました…
日々の診療に追われ、『医療の原点』を忘れかけていたのかも知れません…
そうありながらも、どこかで心の根底にある医療人としての気持ちを繋ぎ止めようと、
歯科医療ボランティア活動の参加を検索したり、行きたい気持ちと忙しさを理由に行けないと諦める気持ちと葛藤し、考える事を4年ばかり続けていました…
そうやって、決断出来ない自分がいて、なかなか答えが出ない時期が続きました…
そんな時に、今でも忘れることの無い3.11.の東日本大震災が起きました。
東北地方で津波に家々が飲み込まれていく映像をニュースでただただ茫然と見つめるしか出来ませんでした…
私は、岩手医科大学歯学部の出身で、岩手県盛岡市で6年間生活していたため、私にとっては、第2の故郷であります。
多くの先輩や後輩などの仲間が生活する場所であの様な大きな天災が起きて、苦しんでいる現状に、直ぐにでも『行動』したい気持ちでいっぱいであるのにも関わらず、援助物資だけを送るだけで、なぜか…自分の体を向かわせるだけの『行動力』がありませんでした。
そして、中でも学生時代に弟のように面倒を見てくれた、身近な先輩歯科医が診療中に地震が起きて、お年寄りの患者さんを避難所におぶって移動させている時に津波に襲われ亡くなってしまったことに大きなショックと失望感、無力感でいっぱいでした…
何もできない…『行動力』のない自分を責めるばかりの日々が続きました…
2015年3月、東日本大震災から3年の月日が経ち、 亡くなられた大好きだった先輩が背中を押してくれたのか、 自分に何ができるかわからないし不安だらけだけど、
『先ずはとにかく必要とされる現場に行って見てみよう!それから考えよう!』
『自分には歯科医師としての資格を活かせる場所があり、求めてくれる人がいるではないか!なんて恵まれているんだ!』
って前向きに考えられるようになりました。
そこで、NPO法人JDM(ジャパンデンタルミッション)とのご縁があり、バヌアツ共和国、無歯科医の島、タンナ島での歯科医療ボランティア活動に参加することができました。
主に、診療を中心に活動させて頂きました。限られた日程や診療器具、環境での診療は、最初はかなり戸惑いしました。
日本での日常的な診療では、必要な機材、設備に囲まれ、様々な治療手段を検討することができます。
しかし、ここタンナ島では、患者さんのニーズはもちろん日本と同様にできるだけ歯をのこしたいというものですが、残念ながら、我々活動チームができるのは限られた短期間の診療です。そのため、数回に渡る保存治療では、痛みや炎症を再発させてしまう可能性があり、ほとんどが抜歯の対象となってしまいます。
日本での治療では、残せる歯も…ここでは抜歯せざるを得ないのが現状…
可能な限り、現場で保存できるものは保存して、そういった診療の限界や環境を患者さんに理解して頂いた上で、治療にあたらせて頂きました。
そして、患者さんは、そのような限られた診療環境や条件の中でも、快く暖かく受け入れて頂き、治療後には、笑顔で感謝の気持ちを伝えてくれます。
そんな患者さんの優しい気持ちに触れることで、逆に私自身が癒され、涙し、心暖まり、感謝の気持ちでいっぱいになり、今与えられた任務に集中し、しっかりと活動することができました。
そして、限られた時間の中でしたが、できるだけ多くの患者さんを診ることに専念することができました。それは、患者さんの協力的な気持ちは勿論のこと、各スタッフとの連携、団結力に支えられていたからできたことと素直に思います。
海外歯科医療ボランティア活動を経験して、様々な『刺激』と『感動』を得て、『歯科医師としての使命感』が満ち溢れることで、私にとって『貴重な経験』となり、日々日本で診療できていること、私を支えて下さる患者さま、スタッフの皆さん、家族、仲間に心から感謝致します。
そして、同じ思いで活動できる仲間と出会うことができて、素晴らしいご縁を頂きました。この経験を活かして、日本での歯科医師としての『情熱』を持って、患者さんに寄り添う診療につなげられるようにしたいと思います。
また、今後もこの想いやご縁を大切にし、継続的に歯科医療ボランティア活動に参加したいと思います。
NPO法人JDM ジャパンデンタルミッション 会員
あきら歯科 院長 伊藤 玲
あきら歯科 院長 伊藤 玲
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1971年